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ぷろふぃ〜る

名前 サーキュラーキー(大好きなシドニーからいただきました)
年齢 31歳
自営業
特技 パチスロ早回し ネットを使ってのバーチャル海外旅行
学歴 近大付属和歌山高校中退
京都大学経済学部 卒
・オーストラリア各地に別荘を持つこと 一番はゴールドコーストの高層コンドミニアムかな。
オーストラリアのような緑や海や川がきれいなところで休日は大好きなバーベキューをして過ごせたら最高!でも日本のほうが何かと便利やろうなあ〜。
・いつかは持つ家族とはいっぱいアウトドアをしたい
(清水国明みたいな生活は嫌やけど)
好きな場所 海や川などの水辺。ウォーターフロントの家に住みたいくらい。

以下は僕の生き様をつらつらと書き綴っているだけですので興味のある方だけよろしければどうぞ

1976年
暑い夏の日に生まれる。

小学校入学前
父親の影響が大きかった頃
影響その@
父親が家で仕事をするときに使っていた電卓に興味を示しまくった。おかげで数字が大好きになり、
年長の頃に掛け算や、15+x=34みたいなの問題を母親に出してもらって解くのに快感を覚えるちょっとやばいクソがきに。もし母親が教育ママだったら5歳でメガネだったかもしれない。でも算数オリンピックに出れてたかも(爆)
影響そのA
父親がパチンコへ行くのにいつも付いていって、膝の上に座ってパチンコを眺めていた。
そのころからパチンコが大好きだったので、実質パチンコ歴は25年超か?


小学時代
3年か4年のときに両親が離婚。別れるなら当時近所で一番高いビルから飛び降りて死んでやるなんて思っていたけど、おかげさまで今も元気に生きてます。子供は母親が引き取ることになっていたけど、転校するのが嫌だったので、僕だけ父親のもとに、妹と弟は母親に引き取られました。幸い母親の新居は同じ市内だったので、週末自転車で会いに行ってた。僕だけ家族全員と会えるという恵まれた環境に置かれました。
しつけはそれまでかなり厳しいほうだったと思うけど、離婚して子供に迷惑をかけたという負い目があったのか、離婚後両親とも急激にしつけが厳しくなくなった。そういう環境の変化のため、これからダメ人間への道を歩んでいくことに・・・。

中学時代
全く勉強する気が無かった時代。小学校の頃から兆候のあった学校をさぼる癖がついに開花。見かねた先生が中2のクラス替えの時に中のいい友達をたくさん同じクラスにしてくれたがもはや手遅れ。むしろ中2の頃がピークで、学校に行かずゲーセンか友達の家でたまって課外活動をしてた。その間もなぜか中間・期末テストだけは受けてたなあ。勉強は嫌いではないけど、いかんせんやる気が無さすぎた。
しかし、2年の学年末テストで意外といい点が取れ、課外活動では味わったことの無い快感を覚える。その後は欠席が遅刻に変わり塾にも通いだす。。3年の終わりには公立の最上位高(とはいっても地方都市の高校なので大学進学率などは大してよろしくない)にいけるレベルになったが、過去に積み上げてきた内申点の影響で、「満点とっても無理、わしらでもどうしようもない」と先生いわれ、憧れのあの子が行く公立をあきらめ試験の結果だけで合否が決まる私立に行くことに
なった。

高校時代
1年の7月、わずか3ヶ月あまりのスピード卒業!おい、おまいら勉強しろっていう環境についていけず。しかも男が多すぎっ!かなりの金額を投資してもらった母親にはなんと言ってよいのやら・・・。
そしてパチンコの世界に電撃復帰。初めの1ヶ月毎日初代フィーバーパワフルを打ち続けたら20万ほど勝ってしまったのが運のつき。パチンコは勝てても負けても人をダメにしますね。

19歳まで
その後はバイトやパチンコなど好きなことを好きなときにして過ごす。でも高校の学祭なんかがあるとうらやましいなと思ったりもした。その間にも多くの年上の人と知り合って日々勉強というか今でもいい付き合いをさせてもらってた。
中卒だと職業の選択肢が狭いというのは周りを見て嫌というほど実感をしていたので、将来のこと考え19歳のときに大検を取得。

20歳〜2年間
友人の紹介で、個人経営の塾に通って大学を目指すことに。世間で言う2浪の年齢からの勉強。高校をスピード卒業して以来大検でちょこっと勉強したくらいなので、実質中学卒業時より学力は低かった。高校生と机を並べて1から学習。高2の子に「○○(当時の僕のあだ名)〜、そんなのも知らんの〜」とか、授業中先生が「おっしゃ〜、○○が分かるんやったらみんな分かるな」なんていわれて「知識は無いけど理解力はあるわ!」なんて思ってめちゃめちゃ発奮した。1年目のセンター試験は思ったより結果がよく、受験前からの第一目標だった地元の大学ではなく、一度も行きたいとは考えたことも無かった地元の大学よりは1つランクの上の大学に願書を出す(欲の塊) そして撃沈!試験が終わったその日から2年目に向けて勉強してました。

怪我の功名というのか、一年目の受験失敗は結果オーライだったようで、1年後には慶応と京大を受けれるようになってしまってました。進学は家庭の財政面も考え京都に住むことに。
受験時代は、勉強漬けというわけでなく、遊ぶときは遊び、勉強するときは集中してする生活がめっちゃ楽しかったので、どうせ人より遅れてるしあと何年この塾にいてもいいやって思っていたから、大学合格発表の掲示板に自分の名前がるのを見ても正直うれしいという感情は涌かなかった。でも、合格を電話で恩師に伝えたとき、僕がびっくりするくらい大きな声で叫んで喜んでくれたのを聞いたとき全身震えるくらい嬉しかった。
母親も恥ずかしくなるくらいそこら中に言いふらすくらいだったので、喜んでくれる人がいたという点で頑張ってよかったと思う。自分の中では大学名云々より、地元を出たのが大きかった。一年目地元の大学を受けずに良かったと心から思う。自分の強欲さに乾杯(´Д`)y-’
今まですっとそうだったけど、自分はいい人にいっぱい出会えてきたと思う。高校生活を体験できなかったけど、その間に出会えた人のおかげでいい経験をたくさんできた。2年間通った塾も、遊びも勉強も恩師と呼べるような人だった。これからも今までのように人に恵まれればなあと思う。今まで出会った人がいなければ今の自分は無いと思うと出会ったすべての人に感謝!

大学時代〜
3年遅れで入学したから、みんなが年下。でもびっくりするくらいみんなしっかりしていて、自分の3年前と比較するのもおこがましいくらい。これまた、日々勉強。
受験勉強中に英語の先生の娘さんの引越しを手伝ったお礼にもらった、バックパッカー(貧乏旅行)のバイブル沢木耕太郎「深夜特急」に憧れ、1年の終わりの春休み、トルコとマレーシアを1ヶ月間一人旅に出た。「深夜特急」と(情報収集のための)ネットの普及と京都に出てきてなかったら一人旅なんてしてなかったともう。これをきっかけに旅にはまり、年に1度は海外に行くことに。2年の春休みに行ったオーストラリアに激ハマリし、寝ても覚めてもオーストラリアのことばかり。もう貴方の事以外考えられない状態になっちゃいました。
育英会で奨学金を借りていたものの、仕送り無しだったので旅費や生活費のほとんどははパチスロで稼ぎ、残りの余裕資金は1回生から始めた株式市場の肥やしになってました。そのおかげというか当然学業のほうが疎かになってました。試験日でもパチスロイベントに行くほどどのアホっぷり・・・。
わけあって5回生の時は休学し、そして現在7回生。やっと卒業できそうです。
パチスロは規制のおかげで、AT機全盛期に比べれば威力が半減し将来の蓄えをしつつ、旅行をし、そして生活費を稼ぐというのが難しくなってきた。体力的にも続けていける職ではないので徐々に卒業中。昔から為替のディーラーに憧れていた(3年の冬に為替のディーラーになるために外資の金融を受けまくったがご縁がなかったようです)こともあり株のデイトレードを本格的に始める。いつかはこれで食っていけるようになれるのか?



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